日本が誇る、日本人が知らない盆栽職人②「北谷隆一」ストーリー
- 世界屈指の松盆栽の産地から、松専門の盆栽職人として頭角を現してきた気鋭の若手職人。最年少クラスの盆栽家として動画配信で発信を続ける先に見えたものとは……。
- Wick Canvas 編集部
- 更新日:2022/8/25
- 投稿日:2022/8/25
- 職人
- 園主・隆司
- 高松盆栽
高松市鬼無地区から国分寺町地区にかけて、松盆栽で全国シェアの約8割を占める一大産地があります。世界でも類を見ない松盆栽の聖地・鬼無地区で、次世代を担う若手盆栽家・北谷隆一氏が、先人の遺した盆栽を引き継ぎ後世へ伝えようと、静かに、しかし力強く盆栽の道を切り開いています。脈々と受け継がれてきた技は確かに継承され、北谷氏の手によって新たな形へと生まれ変わろうとしています。SNSや動画を駆使して鬼無の盆栽を発信し続ける北谷氏の現在と、今後の展望についてうかがいました。
プロフィール
北谷隆一(きただにりゅういち)
100年以上続く盆栽園・北谷養盛園 4代目
1981年3月19日 香川県高松市生まれ
1998年 盆栽の道へ
2011年 アジア太平洋盆栽水石大会実行委員
2012年 鬼無植木盆栽センター役員就任
2014年 高松盆栽大会実行委員
※香川県盆栽生産振興協議会役員、高松盆栽の郷管理運営委員会役員、鬼無の盆栽と造園の技術を融合させ新たな自然芸術の可能性を追究する集団「樹輪」会長など
※鬼無植木盆栽組合(センター)組合員中、最年少
盆栽初心者に楽しさを伝える「4代目の盆栽枯らさない塾」でYouTuberとしても活動中。
屋号:北谷養盛園
住所:高松市鬼無町藤井36-1
電話:087-881-2924

香川県高松市の北西部に、江戸時代から続く日本屈指の盆栽産地・鬼無地区があります。
「鬼の無い町」と書く鬼無町の地名の由来は、昔鬼退治が行われて平穏になったという桃太郎伝説に基づくと言われています。地元の人々が桃太郎の偉業を讃えて神として祀った鬼無権現桃太郎神社があり、子守りの神として親しまれています。
鬼無の盆栽作りの歴史は古く、砂質で水はけのよい土地が松の栽培に適していたようで、二百余年前、この地の先駆者が瀬戸内海沿岸に自生する松を掘り起こし、鉢植えに仕立てて販売したことが始まりとされています。
盆栽に取り組んだ先駆者たちが現在の盆栽の基礎となる技術を数多く開発したことで、この地は盆栽産地として発展してきました。
その後も先人の遺産を代々受け継ぎ、さまざまな努力と改良を重ねた結果、鬼無地区から国分寺地区は日本一の松盆栽産地へと成長し、現在に至っています。
「盆栽と植木の里」というキャッチフレーズ通り、JR鬼無駅を中心とした一帯に盆栽・植木・造園業者が点在し、盆栽通りには日本一の松盆栽産地ならではの風景が広がっています。広大な畑で苗木が育てられる光景は、なかなかお目にかかれない壮大なものです。
駅のすぐ前、樹齢を重ねた松の鉢の視線の先に、相当数の松が植わった盆栽畑を所有するのが「北谷養盛園」です。瀬戸内の島々から山採りされた樹齢推定100年以上の黒松が約500本あり、小さな苗も群生しており、畑を前にすると悠久の時の流れを感じます。
高松市鬼無地区から国分寺地区にかけては、全国シェア80%を誇る松盆栽の一大産地。砂地で水はけのよい土で育った松は「根腐れしにくく傷まない」うえ、樹形の美しさでも盆栽界で高く評価されています。
「北谷養盛園」4代目・北谷隆一氏が手掛ける盆栽がネットに流通することは稀ですが、販売されれば数十万円の作品が即完売になるほど熱心なファンがついています。
鬼無植木盆栽組合の盆栽園では最年少(※2020年4月時点)である北谷氏は、盆栽家としてどのような日々を送り、どのような思いで取り組んでいるのでしょうか。
今や鬼無を代表する若手盆栽家となった北谷隆一氏。盆栽の世界に入った当初は、悩み抜いて胃に穴が空くほど過酷な時期も経験しました。
小さい頃は盆栽を特に意識することもなかったんです。祖父の2代目や父の3代目が盆栽を作る姿は見ていたと思うのですが、記憶にはあまり残っていなくて。
中学生の頃、畑の樹を掘り起こすのに人手が足りないから手伝ってと言われて、そのときに初めてはっきりと盆栽を意識しました。ああ、うちは盆栽農家なんだなって。
17歳くらいで高校の進路を考えるとき、どうせ盆栽の道に進むなら早い方がいいと思って……体調を崩したこともあり、高校を辞めて盆栽を本格的に始めました。
盆栽の世界に入ってすぐの17、18歳の頃は、苦しくてやめたいとばかり考えていました。若さゆえ体力はある。でも体力とは別の「本気のきつさ」を初めて経験しました。
見聞を広めるために、東京や愛知の盆栽園へ先輩に連れて行ってもらったのですが、そこで「この人たちと渡り合うのはきつい」「自分がこの世界でやっていくのはきつい」と痛感したんです。
北谷養盛園は盆栽農家的な性格が強く、仕上がった状態の盆栽をあまり置いていないんです。見に行った先は小売も手掛けており、お客さんを迎える準備の整った仕上がりの盆栽が並んでいました。
圧倒されまくって「大変な世界に入ったな」と感じ、眠れなくなったり食欲がなくなったりして、若さ特有の追い込み方を自分に課してしまい、一度胃潰瘍になってしまいました。誰にも相談できないまま、心の中で悩み続けているうちに胃に穴が空いていました。
盆栽によって追い詰められた北谷氏を救ったのは、日々の盆栽管理、結局のところ盆栽そのものでした。
2代目も3代目も、外部と広く交流するというより純粋な盆栽農家でしたから、商売の体系の違いが衝撃だったんでしょうね。
3代目までは黙って盆栽を作っていればお客さんの方から来てくれました。盆栽を作ることには頭を使っていたけど、売ることにはあまり頭を使わなくてよかった。先輩と回った先で、売るための努力を見せつけられた気がして、それを一人で背負うつもりで悩んでしまって……。
そこからじわじわと悩みながら、とにかく目の前の仕事をこなす日々でした。盆栽が原因のもやもやと相反するようですが、毎日盆栽に触れることで気持ちが切り替わっていきました。
10代の頃はとにかく技術を身につけたい、得意分野を作りたい、自分なりの盆栽を商売として成り立たせる時間と余裕を少しでも作りたいと思っていました。
長い年月を経て、あの頃悩んで胃に穴が空いたことも無駄ではなかったと思えるようになりました。盆栽によって生じた試練は、盆栽に向き合うことでしか乗り越えられなかったんですね。
若いというだけで憤った日々もありました。結局のところ、経験や技術が発展途上の自分自身に苛立っていたのだと、徐々にわかっていきました。
30歳近くになって、やっとお客さんと話す役割を父に代わって引き受けられるようになりましたね。
もちろん3代目は健在ですが、自分がお客さんときちんと話せる年齢になってきて、売ることへの考えも及ぶようになってきました。
盆栽の技術と知識が身についてきて、やっと10代から抱えていたもやもやが晴れ始めたんです。人と盆栽について話せるようになると、どんな盆栽が求められているか、管理で何に困るかの傾向もわかってきて、自分の血肉になっていく気がします。
若いというだけで「若いのに何を言うんだ」という態度を取られたこともけっこうありました。正しいことを言っても納得してもらえない、3代目が自分から見て違うと思うことを言っても賛同を得ている、という経験をしました。だからずっと早く年を取りたかった。
転換期は20代後半ですかね。盆栽の仕事を10年ほど続けてきたところで、盆栽の話もできるようになり、いろいろなことが腑に落ちた瞬間がありました。
そこからは焦りのようなものも消えて、むやみに理不尽だとか憤ったりしなくなりました。
年を重ね経験を積んできて、鬼無の先輩方や、盆栽園同士の結束が固いこの町が、最年少の自分を見守り育ててくれたのだと思い至りました。
鬼無は特殊で、他の地域の盆栽園と違い、畑に松が植わっていてそれを鉢に上げるという他にはない作業があります。
この時期にこうした方がいいとか、薬剤散布や施肥のタイミングなど、盆栽農家ならではの管理について意見交換することも多いです。
鬼無には盆栽園が約20軒あって、僕は鬼無植木盆栽組合の中で最年少なのですが、先輩方はやさしい方が多いです。盆栽職人の修行というと厳しいイメージがあるかもしれませんが、見て盗むというのがほとんどだとも聞いています。
本来は技術的なことをなかなか教えてもらえないものかもしれませんが、最年少ということもあってか、疑問を投げかけると丁寧に教えてくれる方が多くいて、とても勉強になります。
自分はどこかの盆栽園に修行に行ったわけでもなく、ここ鬼無で修行ほど厳しい経験をしたわけでもありませんが、先輩たちが惜しみなく知識を与えてくれることに心から感謝しています。
若くて悔しい思いもしたと言いましたが、若さゆえの硬さもあったかなと。批判されているわけでもないのに、教えてもらったことを素直に受け取るべき場面もあったかもしれません。
鬼無は教えてもらえる環境が整っており、盆栽家としてこの土地に育てられている気がします。他の地域にも盆栽園が集まってよく整備されたところはありますが、鬼無は盆栽園同士の結束が特に固く、仲がいいですね。
先輩方も口には出さなくても、ここ鬼無が世界でも類を見ない盆栽産地として発展し続けてきたという自負があるのではないでしょうか。ここは日本、いえ世界屈指の松生産地であり、松盆栽を極められる場所です。
僕もその一員としてしっかりやらなければならない、鬼無を盛り立てるために何ができるかを模索しながら、先輩方に教えを請うています。
研鑽を続けてきたからこその自己主張、ノーと言える自分……下っ端22年で芽生えた反骨心。先輩方の経験の厚さと懐の深さに感謝しています。
園のこととは別に、組合で動かなければならないこともあり、先輩方も僕がフットワーク軽く動くので重宝してくれています。ただ、下っ端22年ですから、それなりにやさぐれてきて(笑)。
最近では自己主張もしやすくなってきて、おかしいと思ったことや、できないことをつい言ってしまうことも。頼まれ方が腑に落ちなければ「なんでこれをせなあかんのー、一応するけどおかしいでー」とかね。積み重ねてきた実績と関係性があってこそ言えるようになったのだと思います。
先輩方は同年代の職人と一緒にやってきたわけで、下っ端22年を経験したことはないですから。「こっちは下っ端22年もやっとるんやぞ!(笑)」と、40代を前にして肝も座ってきて、反骨心も生まれました。
遅い反抗期を、先輩方の懐の深さで頼もしく受け止めてもらえればと思っています。
3代目とも盆栽については互いに真剣なので、がんがんやり合っています。
盆栽業界の現状や課題については、3代目とはほとんど話をしていません。3代目が歩んできた時代とは違いますし。
今は何か仕掛けないと盆栽を知ってもらえない時代なので、もしかしたら今は僕の方が盆栽業界の現状についてはるかに考えているかもしれない。そんな僕を3代目も黙って見守ってくれている気はします。
代々受け継いできた価値ある黒松を、自分の代で途絶えさせてはいけない——突き動かすのは、先人が遺した樹を最も美しい状態で残していくという使命感です。
北谷養盛園にある樹の大半は、祖父にあたる2代目が瀬戸内海の島々から山採りしてきた、いわゆる島木がかなりの数残っています。60年前に祖父が掘ってきて以来、樹齢100年以上と推定されるものが約500本あります。
山採りとは、山に自生している樹を掘り下ろしたもので、かつて最も盛んだった盆栽の樹の入手方法の一つでした。この地域でも昔は冬場の農閑期に山採りをして収入を得ていたようです。
瀬戸内海国立公園内の津田や、港町として栄えた引田、日照時間が長く土壌豊かな三豊などで山採りが盛んになり、やがて松が少なくなると瀬戸内海の島々へ遠征するようになったとか。
自生樹が減らないよう1本掘ったら苗木を1本植えることもしていたようですが、山採りの樹はほぼ取り尽くされてしまい、法律上および自然保護・環境保護の観点から、今では山採りを行わないのが一般的です。
そんな貴重な樹を、祖父、祖父と父、父、父と僕と、代わる代わる手入れし、日々気にかけ手をかけ、形を作ってきました。山採り当時よりもはるかに美しい状態で、常に最高の姿を維持するよう手入れしています。
代々維持してきた価値ある黒松を、自分の代で途絶えさせてはいけない、より美しい状態を保ち続けなければならないと常に思っています。
盆栽の寿命は、きちんと培養管理されれば樹齢100年・200年、なかには500年を超えるものもあり、代替わりしながら脈々と受け継がれていくものもあります。
地植えの樹であれば樹齢2000年以上のものもありますが、盆栽の場合は限られた鉢の中で培養管理するという第一のハードル、そして剪定や樹形づくりにより人が絶えず手を入れてその樹にとって最高の姿を作るという次のハードルがあります。
最高の姿を常に追い求め、樹にとっては一瞬の美かもしれない瞬間を維持し続けることが、常にそびえる難所であり、盆栽の醍醐味でもあります。
自生していた山採りの樹は、何とも言えない風合いが魅力。樹齢の長い樹を畑に長く置き、ハサミで整えるという独自の管理法を貫いています。
盆栽の樹には、山採りのほかに実生・挿し木・接ぎ木・取り木などで人工的に育てるものがあります。人工的な育成でも立派な樹はできますが、自生していた山採りの樹は幹に独特の模様があり、個性的です。
かつては人工的な養成ものは山採りに比べて格下と見られており、年月をかけて作られた自然の風合いの希少性が重宝されていました。
今では養成ものも技術の進歩により見直されていますが、自生樹ならではの独特の風合いは変わらず、山採りの希少価値はさらに高まっています。
樹齢の長い樹を畑に長く置いて、なるべく針金をかけずにハサミで枝を整えるのが、うちの園の特徴でもあります。
山採りした樹を畑で育てると、鉢植えより約3倍のスピードで成長し、太くて立派な松になります。鉢内より栄養も豊富で根も自由に張れますが、大きくなりすぎてはいけないため、適切な管理が欠かせません。
園では五葉松1,480本・黒松5,700本・錦松300本、計約7,500本もの松を所有。自身も松好きで松専門店を公言。専門性を明言することで、職人としての重みも増します。
「雨が少なく風がよく吹く」瀬戸内の風土が生んだ山採りの黒松には独特の模様と曲がりがあり、3代にわたって手塩にかけて育ててきた北谷養盛園の黒松を最高の状態で維持管理することに、日々挑戦し続けています。
畑にある五葉松は自然な状態で年間10〜15cm程度成長します。大きくならないよう剪定で先端を止めて小枝を充実させ、太い枝を間引くことで樹形の整った美しい姿になります。
うちの五葉松は、コケ順、つまり太い根元から上部に向かって細くなっていく状態が整ったものを大切にしてきました。初代の曽祖父・弥二郎(故人)は細くても幹に曲がりのあるものに「わび・さび」を見出し、2代目・義明、3代目・和彦へと受け継がれてきています。
初代から受け継いできた宮島系の銀性八房(ぎんしょうやつぶさ)五葉松は通称「銀八(ぎんやつ)」と呼ばれ、葉が銀色の霜降りで鮮やかで美しく、荘厳な雰囲気を持つ樹種です。枝振りも整えやすく樹形が作りやすいため、鬼無の五葉松には「銀八」が多いんです。
「銀八」は黒松の苗に五葉松の根を接いだ状態から作っていきます。最初は小指より細いくらいだったそうですが、樹齢90年を経て重量感も出て枝も整い、豪壮な姿になっています。
年月を重ねて黒松と五葉松の接いだ部分がわからなくなってきたら、「銀八」として仕上がってきたということです。初代が接ぎ木した五葉松も概ね樹高1m20cm程度を維持しており、鉢上げして鑑賞するためにも労を惜しまず手入れすることが重要です。
五葉松・黒松のほかに錦松が数百本あり、雑木盆栽はほぼなく、最近では松専門店と公言しています。
以前、県の担当者に数えてもらったところ、黒松5,700本・五葉松1,480本・錦松300本、約7,500本もの松が北谷養盛園にあります。
希少価値のある山採りの古い松をはじめ、これらの松を自分の代で終わらせてはいけない、枯らしてはいけないと、盆栽の世界に深く入るほど実感しています。松盆栽専門店としての自負を持つためにも、公言することが自分にとって大切なんです。
もちろん自分が松好きというのもありますし、経験を積んできたからこそ松盆栽専門店と言い切れるようになったんですが。
経験とは単に盆栽を触ることではなく、ピンからキリまでさまざまな盆栽を見て、自分の引き出しが増えてこそ備わるものだと、身をもって実感しました。
樹を鉢に植える際、まず正面決めから始まります。プロ・アマ問わずさまざまな考え方がありますが、その盆栽が最も美しく見える向きを判断することです。
(目の前の盆栽を持ち上げて)例えばこの子に関しては、ここが一番美しく見えるという選択肢以外はなかなかありません。
上に向けるか下に向けるか、左右に傾けるかといったことも、正面決めと同時に行うべき作業です。
正面が決まったら、この傾き具合に対してどの枝がベストな位置に来ればいいかを考えます。よく育った枝でも正面に対してよくないと判断したら思い切って切り、残った枝の配置を想像しながら針金を巻いていきます。
まず正面を決めることが、最初の最も大切な作業と言えます。
盆栽の世界に入ってすぐ、正面決めが迷わずできるかと言えば、その後のことを考えなければすぐできるかもしれません。
盆栽にとって一番いい正面はどこかを決めるのが、ある意味最も難しいとも言えます。始めたばかりの人が毎回正しく正面を決めるのはなかなか難しいです。
この世界に入って22年やってきたから言えることですが、経験がかなり備わってやっとできることではないかと。経験とは単に盆栽に触れることではなく、いい盆栽もそうでない盆栽もピンからキリまで見て、引き出しが増えた中でより正しい正面が見えてくるのだと実体験を通して感じます。
正面決めは盆栽の一生を決める最初のステップですから、根の張り方・幹の曲がり・枝ぶりなどを慎重に考慮して決めますが、経験を重ねると、基本を押さえながらも感覚的・直感的なものになっていく気がします。
もちろん年月を経て樹が成長すると樹形も変化し、正面を変えなければならないこともあります。3〜4年ごとの植え替えの際に正面を決め直し、また最も美しい姿を追い求めるサイクルが生まれますが、これも盆栽に挑まれている感じがして、盆栽の醍醐味の一つだと思います。
盆栽はあくまで好みのものですから、正しい・正しくないとはなかなか言えませんが、プロの間ではさすがにその正面は違うだろうというものもあり、せめてそこは避けた方がいいかもしれません。
正面決めはプロの間でも意見が分かれており、個性にもつながっています。ほんの数ミリずれるだけで枝のすべての角度が変わるほど、まったく違う表情になります。
やっていくうちに盆栽を見れば誰が作った樹かわかるようになってくる。盆栽職人として樹の最大限の能力と魅力を引き出すことが、僕の手掛ける樹への精一杯の誠意です。
3代目がなるべく幹に対してまとまった締まった作りを好むとすると、4代目の僕はこの枝をどう活かせるかを考えて、枝の個性を引き出していきたいというのが好みです。
3代目とぴたっと合う時もありますが、けっこう思い切り意見が割れることもあります。3代目は伝統を重んじますが、僕はいいと思ったことは何でも取り入れながら積み重ねて、自分の形を作ってきました。
鬼無には他にも約20軒の盆栽園があり、この道一筋何十年も頑張ってやっている方がおられます。
自分でやっていくうちに、作った樹を見れば誰が作ったかわかるようにもなってきて、積極的に針金をかける人は、樹を見るだけでその人が作ったとわかるくらいになりました。
自分で枝葉の剪定をすると、切る枝・残す枝の判断が難しいこともありますが、園には樹がたくさんあり、周りに教えてくれる先輩もいますから、多少の失敗を恐れず挑戦できます。
もちろん針金を巻く技術の良し悪しも重要ですが、針金を巻くこと以上に、どう巻くかが試されます。
枝決めも大切な作業です。いらない枝やバランスの悪い枝を取り除く作業で、いい木を長く見ていないとできないと言われています。なるべく針金をかけずにハサミで整枝するのがうちの特徴と言いましたが、枝決めがきちんとできれば針金なしでも素晴らしい樹形が作れるんです。
さまざまな盆栽を見てきましたが、北谷養盛園にある盆栽は元々才能ある優秀な盆栽だという確信があります。そんな盆栽たちの能力をいかに引き出し伸ばしていくかが僕の仕事です。
すべての盆栽には持って生まれた何かしらの才能があると思っています。盆栽自体はその才能に気づいていないかもしれないと思うんです。
だからこそ、盆栽職人として、その才能を開花させるお手伝いをする、樹の最大限の能力を引き出すことが使命ではないかと思っています。
経験を重ねてきて、樹が盆栽として自分の才能を開花させるのを待っているのではないかと思うようになってきました。
20代からの自分の命題は得意分野を作ること。ようやく辿り着いたのは、「管理のことは隆一に聞け」と言ってもらえるような「管理のプロ」を目指すという選択肢でした。
適切な管理をしていけば盆栽は生き続けます。盆栽の生涯の貴重な一部を預かる立場として、才能を開花させるために俯瞰的な視点を持つようにしています。
樹が現状どういう状態でどう見えていて、その時できる最大限でどうなればいいのか、どう見せればいいのか、この先どうなっていけばいいのかを判断します。正面・裏・右・左・上・下とさまざまな角度から見て、樹の歴史、過去と未来に思いを巡らせます。
園として生き残っていくためには、次の園主として自分なりの得意分野を作っていかねばというのは20代の頃から思っています。
盆栽といえば剪定や針金かけをする姿がまず思い浮かぶ方もいると思いますし、そういった部分は目立ちやすく評価されやすい気もしますが、管理面で美しい状態を維持するという点を重点的にやっていきたい。「管理のことは隆一に聞け」と言われるような「管理のプロ」になりたいです。
盆栽作りのために、隙間時間を見つけてはデッサンを描き溜め、画像をストック。イメージに近い樹が来たときのために、すでに助走はできています。
暇さえあれば盆栽の絵をちょろちょろ描いています。こんな盆栽どうかなと、幹が太くて枝が細かったり、幹が細くて枝が太かったりと、実際にあるかないか別として、想像の中のおもしろい盆栽を見つけるために絵に描いています。
まっすぐならこういう枝、斜幹ならこういう枝ぶり、文人ならこういう枝が適しているなど、妄想の中での理想の盆栽像を追い求める作業です。
盆栽を作るにあたり引き出しが多くないと作れないと思っているので、決められた樹形でも自分なりのおもしろい形を発想できていたら、いざその形に近い樹が手元に来たときに助走になるんです。枝をこれくらい曲げて切ればあの形になるとイメージ作りにとても役立っています。
すごく意識して描いているというよりは、自然に目の前にペンと紙があればデッサンを始めるという感じです。
まだ未就学の子供がいるのですが、子供がお絵かきしていたら横で一緒に描くこともあります。そういうときに面白いアイデアが浮かぶことも多いです。
デッサン以外にも、SNSやネット上で「これはすごい、自分の発想にない」と思ったら画像登録してストックしておきます。
幹のくねり方や太さ・細さは千差万別なので、引き出しが多ければ多いほど発想力につながります。常に国内外問わずいろいろなものを見るようにしています。
365日、園での盆栽管理に追われ外出も限られますが、以前の世代にはなかったインターネットを活用することで、古典的なスタイルから現代的なもの、さらに斬新な表現まで、実に多彩な盆栽に出会えます。
海外の盆栽には日本の技法を踏襲したものも多いですが、枝の仕立て方や曲げ方に新鮮な発想が光るものや、純粋に美しいと感じさせる作品もあり、プロ・アマ問わず参考になります。高松・香川は本格的な盆栽の産地として知られていますので、樹種ごとにさまざまな盆栽をネットで眺めるのは、時に良い気分転換にもなりますよ。
もちろん、集めたアイデアをそのまま再現するわけではなく、似た幹の素材が出てきたときに自分なりのアレンジや引き算を加えながら、理想の盆栽を作り上げていきます。
スケッチしたり画像を蓄積したりすることで、発想が凝り固まらずに済む感覚があります。
樹を前にすると迷いが生じることもありますが、スケッチや画像ストックによって常にイメージが頭にあるため、迷いが減ったように思います。無駄な時間を省き、最短で目標へ到達するのに役立っている実感があります。
盆栽にもイメージトレーニングが有効というか、日頃から引き出しを増やしておくことで安定して盆栽作りに臨めるというか、理想の盆栽像をあらかじめ蓄えておくことで、どんな素材が来ても蓄積したイメージを重ねていけて、時間の節約にもつながるんです。
一つひとつの作業を極限まで効率化することで時間を生み出し、他の作業へ充てていく。一本の樹とどう向き合うかを徹底的に突き詰めていく。
私の切実な目標は、ミクロな視点ではありますが、日々の作業を極限まで効率化することです。現在、北谷養盛園には、小さな苗木も含めると約7,500本の樹があり、先代と私の2人で管理しています。2人しかいないのに、樹の数は膨大です。
大きいものだけでも1,000本を超える樹があり、大木を扱うには相当な気力と体力が必要です。
こう言うとシビアに聞こえるかもしれませんが、盆栽職人にも必ず「旬」があります。気力と体力が充実したピーク期を過ぎると、体力の衰えを知識と経験でカバーする円熟期があり、それを超えると気力と体力のバランスが崩れ、職人としての旬が終わってしまうのではないかと感じています。
先代の職人たちが勢いのあった時代を見てきて、ピークを超えて円熟の域に入った先は、盆栽を触り作ること自体は生涯できるとしても、プロとして第一線に立ち続けるのは厳しいのかなと思っています。
例えば、畑の松を翌春に鉢上げしようとすると、事前に根回しをしておく必要があります。スコップで周囲を掘り、伸びた根を切って形を整えた後、再び土をかぶせて養生する。こうした作業も相当な体力を伴います。
7,500本もの樹を園で管理するには膨大な時間と労力が必要で、私は約5,000本の維持管理に体力の大半を注いでいます。どちらかというと、先代が針金かけや仕上げ作業を担当し、私は維持管理を中心に役割分担しています。
今のうちに作業を極限まで効率化しておくことで、円熟期に入った頃の余分なストレスを少しでも減らしておきたいと思っています。
先ほど「管理のプロ」を目指してきたと言いましたが、維持管理の効率化という点では、かなりの自信を持っています。例えば、1年間の樹の成長に対してハサミを入れる回数をいかに減らすか、いかに省エネで一本の樹と向き合うかを突き詰めることで、維持管理以外に使える時間を生み出せます。他の職業でも同じことが言えるでしょう。
一つの作業を減らせれば、その分の時間を他の作業や他の樹のケアに充てることができます。
時間という概念を無視して5,000本の樹を世話し続ければ、2,000〜3,000本の管理だけで1年が終わり、残りの樹が二束三文になってしまいます。盆栽のスケッチやネットでの画像収集も、そうして捻出した時間があってこそ可能になるわけです。
樹の管理を効率化することで、盆栽の制作や仕立てにより多くの気力と体力を注げるのではないかと考えています。
試行錯誤を繰り返しながら、さまざまなアプローチで樹と向き合ってきた。今では数千本分のデータが北谷さんの頭の中に蓄積されています。
とにかく、あらゆる樹を観察し、手入れし、さまざまなタイミングや方法で樹と向き合う毎日でした。
剪定の時期を早めたらこうなるのか、集中的にやったり、ある程度放置して強弱をつけてみたり。結果、枯れそうになれば失敗、うまくいけばこのやり方で正解と、まさに一進一退です。樹が大量にあることも、実験できる環境として幸いでしたね。
この時期の剪定は良さそうだが、どこまで遅らせられるか。2月はいけたが3月はどうか、そんなことばかり考えて試し続けることで、良いことと悪いことが見えてきました。
さまざまな実験の結果、おおよそこういうものかなという感覚が掴めてきました。数千本の樹のデータが頭の中に蓄積されています。ただし、樹はあくまで生き物ですから、その年の気候や雨量、樹の状態など様々な条件が重なり、データ通りにいかないことも多々あります。
そういうときは経験値がものを言うと断言したいところですが、真摯に樹と向き合ってきたのですから、自然の恵みも悪いようにはしないでしょう――ただただ天に祈るばかりです(笑)。
盆栽を商売として成り立たせるためのネットワーク作り。学ぶ姿勢で時間をかけて培った関係は、商売だけでなく、自分自身の糧となるはず。
作るだけでは盆栽園として商売が成り立ちませんので、やはり買い手を見つけていかなければなりません。当園の樹の特性上、一度に大量販売するものではないため、途切れることなく購入してくれる方を継続的に見つけていく必要があります。
販売を前面に押し出すアプローチよりも、盆栽家や販売関係者、仕入れ先で出会う愛好家や業者の方々と普段から情報収集を兼ねて話し込み、そこで生まれるネットワークを通じて自然と購入につながる素地を作ることに、今は奔走しています。
良い縁はないかなと、販売を前面に出すのではなく、自分も学ぶ姿勢でちょこちょこと顔を出し、長いものにゆっくりと巻かれていっています(笑)。
最近は四国内に仕入れに行ったばかりで、地域の盆栽フェアでお客さんとして来られた方に「今度盆栽があれば見せてください」とお願いし、その方が売りたい樹を言い値で買ってみたり、こまめに連絡したりして、まるで恋愛の始まりのようなことをやっています。
(地域盆栽フェア:毎年春に香川県内で開催。盆栽・植木・苗木・草花など多数を展示販売。専門員による講習会や園芸相談、緑化推進に繋がるオークションなども実施)
時間はかかりますが、そうして仲良くなっていくと、人を紹介してくれたり案内してくれたりするようになり、次の段階へ進んでいきます。強引に扉を開けるよりも、自然な距離の縮め方の方が自分には心地よく、人脈としても長続きするように思えます。
香川が誇る盆栽をより多くの方に知っていただくために自分にできることを考えていたタイミングで、動画での情報発信という機会に恵まれました。
先輩方は、積極的にアピールしなくてもお客さんの方から来てくれた時代を歩んできました。今は海外への販路が広がってきているとはいえ、国内需要は厳しい状況です。
組合の若手メンバーとして、香川の盆栽をもっと知ってもらうために何かしなければという意識を常に持っています。
盆栽を売ることが得意な園も全国には多い中、高松・香川周辺は、作って管理する能力が高い職人が多い印象があります。畑での丹念な管理を経て鉢上げされ、仕立てられた香川の盆栽は、国内でも高い水準にあると言えます。
もっと知ってもらうために何とかしなければと思いながらも、樹の管理で手が回らないのが実情です。ネットを使って何かできないかと考えていたところ、知人から一緒にやってみませんかと声をかけていただきました。
若手メンバーということもあり、テレビや新聞などメディアの取材を広報役として度々受けてきた中で、撮影・編集に長けた方々と知り合いになりました。その流れで、盆栽に興味を持った方から、若手盆栽家の代表として一緒に動画を作って発信しませんかとお声がけいただいた形です。
内容は、YouTubeで「盆栽チャンネル」として盆栽の管理方法を発信しています。新しいことに挑戦したかったし、盆栽家としての自分をPRすることが地域貢献にもつながると思い、即座に受けました。
おかげさまでチャンネル登録者数も順調に伸びており、日本だけでなくスペイン語・フランス語・英語など世界各地からコメントが届いています。少しずつ広まっていくのがありがたいです。盆栽園ではなかなか得られないダイレクトな反応があり、ネット世代としてやりがいを感じています。
動画を見たと海外から来園される方もいて、発信の大切さを実感しています。盆栽を海外へ販売するには検疫上の制約もありますが、日本を代表する文化である盆栽を香川から世界へ発信できることに喜びを感じています。
動画での発信は地域では新しい試みに映るのか、取材といえば北谷養盛園の若手、という扱いがますます定着しています。このままでは永遠の若手という立ち位置になるかもしれません。
香川の盆栽と、畑に松が植わる独特の田園風景を残すために、自分が強くなることでこの地域を強くしていきたい。
私はクリエイターではなく、盆栽の樹を作る人間です。盆栽作りを続け、先人から受け継いだ松を良い状態で残していくことが大切だと思っています。
惜しみなく知識と技を教えてくれる先輩方がいて、畑に大量の松があるからこそ失敗を恐れず挑戦できた、という若手には恵まれた環境が香川にはあります。自分を成長させてくれるこの地域そのものに感謝しています。
ネットを通じて自分が前に出ることも、幼い頃から親しんだ盆栽畑が広がる香川独特の田園風景を多くの人に知ってもらい、残していく責任があると、若手盆栽家として感じているからです。
もちろん第一には、畑の松の素材の質を高めて提供していくことで、日々の地道な作業を手を抜かず、本物の樹を作り続けなければなりません。
技術を磨き、日々精進した上で、香川の盆栽を発信していきたい。自分が強くなることで、この地域をさらに強くしていきたいです。
北谷さんが理想とする盆栽とは、盆栽を前にして何者にも囚われず、どれだけ見ても飽きのこない盆栽。そんな盆栽を生涯かけて作り続けていきたい。
私が目指す盆栽は、どれだけ見続けても飽きのこない盆栽です。盆栽は自然の縮図でもありますから、そこにあるだけで無限の風景と無限のストーリーを生み出します。見た瞬間に「すごい」「美しい」と感じたとしても、眺め続けるうちにそんな言葉も忘れ、何にも囚われずただ盆栽を見続けるような、そういう盆栽が理想です。
「何にも囚われずに見てください」と言われてその状態になれるものではなく、自然と湧き上がってくる、意識の底から語りかけてくる、そういった言葉すら超えた状態です。
具体的に好きな樹種や樹形への意識はありますが、盆栽を前にして感情や言葉を超え、盆栽のある時間と空間だけに意識が没入する状態が、この上ない盆栽鑑賞の醍醐味だと思います。そんな盆栽を生涯かけて作り続けたいですね。もちろん松で。









